fc2ブログ
日空ジャンボ機123便墜落事故から35年
2020-08-12 Wed 17:05
1985年8月12日。日航ジャンボ機123便が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落して35年が経った。
あの夏あの日、大学の卒業を一年延ばしていた私は長野県菅平高原のホテルにいた。

自分の進む道が見つからず、大学院の学内選考を受けることを口実にして5年目の大学生活を選んだ私は、生活費を稼ぐために約40日間の住み込みバイトに応募して老舗の菅平ホテルで働いていた。

奨学金は4年間で終了し、実家からの仕送りも固辞していた私は人生初めてのアルバイトに日々いそしんでいた。
一年続けたアルバイトは、食料品スーパーとケーキ屋。短期では複写機製造工場の組み立てライン、ティッシュ配り等もやっていた。

夏の期間のホテル住み込みバイトに応募したのはお金がたまると思ったからだ。35年前のことで記憶がはっきりしないが、日給2000~2300円(時給ではない^^;)ほどの条件だったと思う。現在と比べると決しておススメできる待遇ではないと思うが当時は魅力的だった。東京⇔北海道か仙台あたりを往復するフェリーの船中泊アルバイトとどちらに応募するかで迷ったことを覚えている。

往復の交通費は自分持ちの条件だったが、帰路分を支給してくれた。何かと気にかけてくれて暖かく接してくれる経営者家族と従業員の皆さん。今までと違う人生を送ってきた、気心をかわすことができる友人との出会い。
三食宿泊付きのリゾート高原バイトは、貧乏学生の自分には夢のような経験だった。

ホテルのバイトの仕事はいくつかのグループに分けられていて、私はレストランとルームメイキングを交互にやっていた。ナイトバーの担当になると夜が遅くなるが、自分の担当は朝が早くて昼休憩があり、夜は早めに上がれていた。

その日は夕刻には仕事が空けて、同じチームのバイト仲間とホテル前の草原に寝転がって缶ビールを飲みながら歓談していた。近くの食堂に食事に行った後だったように思う。
その時に夕空の端の方で飛行機が飛んでいくのが見えた。彼方に小さく見える機影を眺めながら「めずらしい位置に飛んでるよね」と会話した。

そのあとホテルに戻り、まもなくして日航機がレーダーから消えたニュースを聞き「あの飛行機だったのではないか」と思って慄然とした。
あとから次第に事故の事実がわかってきた。墜落場所の御巣鷹山から菅平高原は100kmほど離れているので他の飛行機の機影だったのかもしれない。
それでも私は死者520人の大惨事をあの夜の衝撃と共に今も忘れることができない。

様々な人生の途上で一瞬にして人生を奪われた人たち。

自分を振り返ってみれば、将来の進むべき道を見つけることができない不甲斐ない人生を送っている。なんと表現すればいいのかわからない気持ちが次々と湧き上がってくる。その後も墜落原因の不可解さと共に懸命に生命を救おうとしたクルーの方々の死闘、亡くなった乗客の方々の人生が報道されることが続き、そのたびに複雑な思いを重ねていった。

何もできないが真摯に自分の生き方を考えようと思った。
それがあの事故から自分自身が学んだわずかな教訓だったように思う。
その後大学院には進学できず翌年に就職して生活は激変した。当時のバイト仲間の大半は1,2年で疎遠になり、その後も一人の友人とは親交が続いたが7年ほどで会えなくなってしまった。

あれから35年が経ったんだなと改めて時間の経過を感じる。結局何が大切なのかもわからないまま、その場凌ぎの人生を溺れるように泳いできただけなのかもしれない。

長年かけて積み上げてきた仕事は新型コロナ禍で4月以降は全く受注がない状態になり、3年半前に開店した店舗も事情が重なり終息に向けて動かなければならない状況になった。

残るのは赤字を続ける事業のみで、全てが振り出しに戻る。
コロナ禍を理由にするのは簡単だが、まだまだ人生は続く。
私は今も人生に迷っているのかもしれない。
別窓 | 人生 | コメント:0 | トラックバック:0 |
東京五輪は中止又は延期の決断を
2020-03-04 Wed 08:28
世界保健機関(WHO)が今回のコロナウィルスの実態をいかに認識できていないのかがはっきりした。

WHOのテドロス事務局長は3日、ジュネーブで記者会見し、東京五輪の開催の可否についての判断は「時期尚早」、「日本は感染拡大阻止のため、すべての可能な措置を取っている」と評価。
バッハ氏とは、状況を注視し、日本政府に協力していくことで合意したと述べた。

今回のコロナウィルスの最大の特徴の一つは、感染したかどうかがわからないことだ。
感染しても症状が出ない人が相当の割合で存在する。その人達が感染を拡大し、免疫力や持病があったり体力が低下している健康弱者が発症して重篤化する構造だ。

東京五輪を開催するか中止延期かの判断は、今後の日本国内での感染拡大状況には拠らない。
7月には欧州や南米、アフリカ等の他地域に感染が広がっていると予測するのが当然だ。
中止しないと確実にパンデミックが起きる。

WHOをはじめ多くの人達は認識を正しく持たなければならない。
このコロナウィルスは、既に感染が拡大している。
いまやるべことは、自分の身近に、そして既に自分自身もコロナウィルスに感染している可能性があることを前提として行動することだ。
ここから出発して、全ての人が感染拡大を阻止する行動をとっていこう。
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
問われる一人ひとりの覚悟と行動 国民総批判の状況を転換しよう
2020-03-02 Mon 12:56
いまコロナウィルスの感染拡大を封じ込めることが最大の課題になっています。

ひとりの生命を助けるために敵も味方も一致団結して人としての素晴らしさをみせるのは、ドラマの中だけの世界になってしまったのか。
ほぼ全ての報道番組が政府批判に終始し、ネットの発言も批判が多い。何かあると他者を批判することが大前提になっている日本のマスメディアも国民も、どうなっているのかと思います。

「失策続きで今頃になって学校閉鎖を急に発表した」というのがその典型だ。急すぎて思いつきでしかないと大バッシング。しかし一方では、遅きに逸したと批判している。そこまでやるべきなのか、効果などないだろうという世論も厳然とある。

当初は、クルーズ船に乗客を閉じ込めてよいのか、人権蹂躙ではと批判していたマスメディアも多かった。

中国人の日本への入国制限も検討されたが、封じ込めているかもしれない、脅威もはっきりしない状況で状況がはっきりしない人達に強権的な処置をとってよいのかとの報道もなされていた。

一貫して政府批判ばかりされているが、マスメディアの人達も含めて国民一人ひとりが暗中模索でどうしたらよいのか手探りで一日一日を対処してきたのではなかったのか。

にも関わらず、自分は具体的な見解を出そうともせず、決定するのは政府の責任だと他人任せにする。

全国一斉休校まで4日しかなくて性急すぎると政府を批判する人に一言言わせてもらいたい。

一人でも感染者が出たら、その日その時点で同じ自治体内の学校が一斉に閉鎖になる。

4日間の猶予があるのに慌てふためくということは、事前に緊急時を想定していなかった事実を自ら暴露しているのだ。

政府を批判するのは完全な筋違い、はっきり言って逆切れだ。それを恥ずかしげもなく公共の電波を使ってあたかも自らが正義のようにまくし立てる。ここまできたらモンスターだ。

「コロナウィルスの感染被害が出ているのは高齢者だ、子供の行動を規制するのは大きな意味もない」と政府批判をする人に至っては、不見識を恥じるべきだ。
コロナウィルスの感染率が年齢によって違うとの知見など、誰も発表していない。
違うのは重症化する割合だ。
若年層は感染していないのではなく、感染しても重症化せず、本人も気がつかない人の割合が高い。感染の事実自体がわからないためそのまま日常生活をするのだから、結果的に感染を拡大させる危険も高齢者よりも高くなる。多くの場合、既に感染を拡大させてしまっていると考えるのが妥当だろう。

そして感染を拡大させた結果として、免疫力や体力が低下している弱者や高齢者が発症して重篤になってしまうことにもなる。
その意味で、元気だからと動き回れる、教室という密集度合が高い空間で生活する小中学生の生活を制約することに一定以上の感染拡大の抑止効果があると考えるのも至極当然の道理なのだ。
それも理解しないで批判に終始している。

要するに、常に自分の考えと行動が伴わない批判をする人達が、自分の至らなさを他者に転嫁して、大きな声で他者を攻撃しているのが今の日本の現状だ。

典型的な発言を一つ紹介すると、学校が休校する状況で学童保育に行ってよいかどうかを話していた番組での安藤キャスターの言葉。

「そういう家庭をまず想定した上でどうすればいいのかおっしゃっていただきたかったなって。一番しわ寄せがいく家庭を前提にして、こういう政策を出してほしかったなって、すごく思います。」

なるほど。ではそのような家庭を前提にしたら具体的にどのようにしたらよいか、安藤キャスタが発言提案すればよいのでは?批判はするが具体的にどうすればよいか、安藤キャスターからは一言もない。あなたも感染拡大を防止したいと思う一国民ではないのかと言いたい。
安藤キャスターだけではない。ほぼすべてのキャスター、コメンテイターが同様であり、国民の大半がそんな思考状態に陥っている。

ネットを含めた批判者の多くが自身の考えに固執していて、発表された国策をどうすればより効果的に運用できるかの前を向いた発言はほとんど見られない。

無責任なのは自分自身だとの謙虚な気持ちを持ちたい。実際に一日違うだけで、また新たな局面を知ると、別の見解を持ってしまうのが今の私達の悲しい現実なのだ。

全部の人達が賛同できる方策は現実にはほぼありえない。全てが完璧な具体的な行動などあり得ない。

どんな施策でもメリットとデメリットがある。デメリットがあるから批判するのではなく、それらを比べて効果が高い方策を講じていくのが今の局面だ。

皆が智慧を出し合ってデメリットを最小限にとどめていく努力を、皆がする。

目指している方向が違っているのなら激しく批判するべきだが、方向が正しいのであれば皆が一致団結して危機を乗り越えていくのが人として当たり前の行動だと私は思う。

今は批判ではなく、行動する段階だ。

地球規模の危機を目の前にしても、自身の国家リーダーを批判し国を挙げての努力ができない日本になってしまったのかと暗澹たる思いになる。

安易な批判をする人の発言も放置してはならないと思う。一人一人が自身の考えをはっきりとさせて声に出していこう。

そして自分が今日、今いる場所でできることを着実に実行していく。それが今日の自分が為すべきことだ。

さあ!今日も自らが主体者との思いで、目の前の課題に全力で取り組もう!
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
2018年度教学部任用試験(仏法入門)の練習問題集
2018-05-23 Wed 01:20
2018年6月17日に行われる教学部任用試験(仏法入門)の練習問題集をアップしました。
学習範囲の全体を網羅する練習問題として作成していますので、学習の一助に使っていただけると思います。
ご活用いただければ幸いです。

↓こちらのページから閲覧、印刷等ができます。

http://www.prosecute.jp/2018ninyo/2018ninyou.htm

別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
2016年度教学部任用試験(仏法入門) テキストと演習問題集を準備しました
2016-11-18 Fri 17:18
2016年11月20日に行われる教学部任用試験(仏法入門)の学習用テキストと演習問題集をアップしました。
過去問題等も踏まえていますが、できる限り学習範囲の全体を網羅する練習問題として作成していますので、理解の深化と学習の一助に使っていただけると思います。
受験対象者の方々にご活用いただければ幸いです。

↓こちらのページから閲覧、印刷ができます。

http://www.prosecute.jp/2016ninyou.htm

別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
創業20周年
2016-04-10 Sun 23:12
本日4月10日で創業より20周年を迎えました。

多くの皆様に支えられて志を同じくする方々と協働しながら20年間の歩みを進めることができました。お世話になりました全ての皆様に心より感謝申し上げます。
また今日からは次の10年をめざして鋭意精進していきたいと思います。
今まで以上にご指導ご鞭撻をいただけますようお願い申し上げます。
別窓 | 企業経営 | コメント:0 | トラックバック:0 |
地方創生 政治家の意識改革と地方の人材育成が急務
2015-02-20 Fri 12:04
国会では平成26年度補正予算に続き、平成27年度予算の審議が行われ「地方創生」が声高に叫ばれています。
「地方創生元年」ともいえる本年。
各地域の主体的な動きがどこまで加速させることができるのか。
大変に重要な局面を迎えています。

だからこそあえて苦言を呈したい。
国会でどんなに真剣に議論され、素晴らしい予算編成を行なっても、それがどのように執行されるのか。その結果が重要です。

しかし今回審議の予算の多くは執行される先が事前に内定し、形だけの公告が行われているものが半数以上。
補正予算に至っては可決当日にはすべての予算配分先は決まっていました。

政治の常識からいえば当然と言えば当然のことなのでしょう。
施策実行のスピードをアップするという大義もあります。

1月後半、メディア報道された審議中の補正予算の概要を見た私は、この予算を活用するにはどうすればよいのか問い合わせをしました。
やはりこうした時には政府与党に聞くのが一番です。
ただ自民党は問い合わせ窓口がはっきりせず、もうひとつの与党・公明党に議員経験者を介してお聞きしました。
聞いた党関係者は、国会事務局の責任者です。
その方いわく「予算執行先は既に決まっている」とのこと。

まあそれはそうかもなぁと思っていましたので、では今後はどの時期から、どのような手順を踏んで進めたらよいのかと聞いたところ、

「各地方自治体(市区町村)から県へ問い合わせて、県から国へというルートが確立している」
「審議内容の事前情報もそのルートで通達されている」
「その正式な手順を踏んで問い合わせてほしい」

何とも杓子定規な回答でした。

それができていないからこそ地方創生が必要なのではないか?
あきれるやらなさけないやら...。
もちろん事務方と議員とは意識が違うかもしれませんし、お聞きしたその方個人の資質の問題もあるかも知れませんが、大衆の党を標榜する公明党ですらこの体です。

そうした地方自治体から能動的な動きが出てこないから地方における国民生活が行き詰っている。 地方自治体によっては予算編成の内訳を想定して半年、一年以上前から準備しているところもありますが、多くの地方自治体では担当部署の1~2名の職員の意識に任されているのが実態です。

そうした都市部以外の地方自治体のスタッフ育成、具体的な補助事業の進め方を指導しない限り、意識のない職員が担当する地域の住民には地方創生予算の恩恵を与かることはできません。
富める者は更に富んでいき、知らないものは損をする構造が拡大しています。

私はNPO法人の代表として岡山県で産直野菜の直売所を経営し、群馬県の自治体と地域再生の活動を進めるなど、日常的に地方の現場で仕事をしています。
その経験から、なんとか助成金を原資とした地域活性化の補助事業を当該地域でも行なえないかと様々な方策を模索しています。

補助事業の多くは、その地域の地方自治体を含めた協議会等の設立が必要なことが多い。
要は一部の住民や団体に補助金が使われないように、その地域の多数を代表する団体が関わっていることを担保する。
そのため実質的に市役所や町役場の職員や首長の意識と行動力が欠落していると何も前に進まない現実があります。

それを各自治体の自己責任とか、正規のルートで問い合わせろとか言っていたら、今までと何も変わらない。

各地方自治体の職員の意識向上の具体策を!
民間と自治体が協働できる具体的な枠組みの提示を!
民間主導で補助事業が推進できる予算配分を!
事前情報のより広い公開と広報活動を!
具体的な補助事業推進のためのセミナー等の開催を!

官民が一体となってよりよき社会の創出のために協働することが重要であると感じる今日この頃です。

【関連リンク】
農林水産省 補助事業参加者の公募
まち・ひと・しごと創生本部
別窓 | 政治 | コメント:0 | トラックバック:0 |
集団的自衛権の行使容認 私達の認識は果たして適切なのか
2014-12-12 Fri 23:17
年の瀬12月の衆議院選挙。投開票日が目前に迫っている。
2年前に続いて2回連続の12月選挙になった。
歳末の多忙な時期で、かつ野党は候補者調整に奔走したためか実のある政策論争はほとんど見受けられない。事前の予想では自民党の圧勝、共産党の議席倍増との報道が目を引く。
そんな情勢でも様々なメディアでは、政策のポイントをいくつかに絞って各政党間の違いを図表にしたりして解説する報道がトレンドのようだ。
有権者にわかりやすく伝えようという努力なのだと思うが、解説するメディアの担当者や番組であれば出演者が正しく理解せず誤った認識で報道しているものも少なからずある。
その中で特に違和感を感じる「集団的自衛権」について少し糺しておきたい。

NHKでさえも報道する「集団的自衛権行使容認の道を開いた」

先日のNHKのニュース番組でも、各党の外交安全保障政策を比較する前提の説明として「政府与党は海外で武力行使を可能にする閣議決定を発表した」という表現を使っていた。
また民主党、共産党をはじめ各野党は文章としては「専守防衛と平和主義を堅持する」「海外で戦争する国を作らない」等々の文言を掲げるにとどめているが、街頭演説等では「海外での武力行使に道をひらいた閣議決定を撤回させる」など「閣議決定=海外での武力行使容認」の構図を声高に叫んでいる。
共産党の議席倍増の予測という風は、そうした武力行使容認と思われる政府対応への国民の反発ともいえるかも知れない。

確かに安倍首相の持っていた意図は、自衛隊を海外で活動させることにあったのだろう。
首相は政府見解を発表した記者会見でも、邦人輸送中のアメリカ艦隊との共同行動やシーレーン防衛についても言及している。
しかし安倍首相が言っているような事例も含めて、海外で部隊展開ができる政府見解になっているのだろうか。

もう既に忘れてしまった人が大半なのだろうと思うが、思い出してほしい。
5月下旬から7月1日にかけての緊迫した政治情勢を。
あの数十日間で集団的自衛権についての定義がどのように変わり、決定されたかを。

ひとつめのポイント 集団的自衛権行使の新3要件

今回の集団的自衛権の閣議決定を2~3回繰り返して読めば多くの人は理解できるはずだ。
【リンク】→閣議決定全文 国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について

「これでは日本における集団的自衛権の行使は国際常識から見れば個別的自衛権とイコールである」「集団的自衛権は絵に描いた餅も同然である」というのが事実である。
今回の閣議決定の全文はさほど長いものではないので実際によく読んでほしい。
閣議決定をまとめる過程で、自民公明の二党は様々な協議を重ねて複数の歯止めをかけている。
何点かポイントはあるが、今日はその中で一つに絞って紹介していきたい。

閣議決定の中核になるのは言うまでもなく集団的自衛権行使の新3要件である。
それは「3.憲法第9条の下で許容される自衛の措置」の中で示された

1)我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において
2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに
3)必要最小限度の実力を行使する


ことは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った-との文面である。
(※番号は便宜的にふりました。)

この文面からだろう、多くの人達は「集団的自衛権行使への道を開いた」と思っているようだ。この個所だけ見ればたしかにそのようにも読めるかもしれない。

誤解のないように一言触れておくが、この文章の中だけでも様々な歯止めがかけられている。
・我が国の存立が脅かされる事態とは
・国民の生命、自由及び幸福追求の権利が覆されるとは
・「根底」からとはどのような事態か
・「明白な危険」とは
・他の適当な手段とは
・その手段がないという事態の判断は
・必要最小限度とは
・実力とは
・その行使の方法は
等々、行使を認定するためには個々の要件、その時点での情勢を審議することになる。この点が法的、国際法上で見ても大きな歯止めになるという見解は複数の有識者から示されている。
今回はこの点は割愛して、次に指摘する点について論を進めることにする。

閣議決定を「絵にかいた餅」にした 戦闘行為を行なっている現場の条件

文章というものは全体をひとつのものとして見なければならない。
この前段である「2.国際社会の平和と安定への一層の貢献」の中で重要な前提条件を課している。それは

(ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。
(イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。


という個所である。
つまり日本の自衛隊は戦闘地域での活動はできないのだ。また活動を行なっている場所が戦闘状態になった時点で休止又は中断することが決定しているのである。
この条件のもとでどう考えれば「海外で武力行使ができる道を開いた」という認識が出てくるのか甚だ疑問である。

実在しない 「集団的自衛権行使の新3要件」を満たす「非戦闘地域での活動」

さらに言えば「非戦闘地域での活動」に限定した個所から見れば、新3要件に当てはまる事態は我が国に対する直接的攻撃の場合以外には起こり得ないことになる。

言うまでもなく、直接的攻撃に対しては日本国として全力を挙げて自衛防衛を行なう。これは個別的自衛権の行使と呼ばれている。この点については議論の余地はないはずだ。

新3要件の冒頭の文章に続く「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」とは、戦闘状態を意味する。戦闘状態の地域では日本の自衛隊は活動ができない。
つまり、「集団的自衛権行使の新3要件」を満たす「非戦闘地域での支援活動」は現実にはありえないのである。
日本の近隣海域でアメリカ軍が他国の攻撃を受けていても、日本の自衛隊は出動できない。なぜならばアメリカ軍が攻撃を受けた時点で戦闘地域になるからである。
そうしたことから結論を言えば、日本の自衛隊が武力行使ができるのは、日本の国土及び国民が直接攻撃を受けた場合に限定されるのである。
今回の集団的自衛権行使の新3要件の設定は、事実上、日本における集団的自衛権を個別的自衛権の行使の範疇に押し止めたのであるとの憲法学者等のコメントはこうした現実に立脚している。

正しく評価されるべき 公明党の果たした役割

今回の閣議決定をまとめ上げた背景には公明党の努力があったことは明白であろう。公明党が「平和憲法に背く議論は行なわない」等の理由をつけて2党間協議の場を蹴っていたならば、自民党主導での閣議決定の作成が行われ、おそらく海外における自衛隊の武力行使の道が開かれたであろうことは想像に難くない。事実他の政党であれば議論のテーブルにつかないという選択をしたであろう。
しかし公明党は敢えて火中の栗を拾う覚悟を決めて2党間協議に真正面から取り組んだことで、日本の安全保障は平和憲法遵守の道を外れないで済んだのである。

改憲反対と声高に叫ぶだけでは平和を守ることはできない。
現実の立法の現場で、行政の現場で直面する戦争の危機と向き合いながら、打つべき歯止めを打っていく。これが政治の使命であると私は思う。
平和憲法を現実に護っているのは公明党であり、今回は相当な危機的状況であったなかで公明党だけがこの危機に立ち向かったことで乗り越えることができたのである。
社民党でもなく、共産党でもなく、公明党がやり抜いたのである。
この事実を私たち国民は正確に認識すべきである。

事実、閣議決定発表後も安倍首相は「ホルムズ海峡での機雷除去に自衛隊が派遣できる」との個人的見解を述べている。しかし閣議決定を基準に判断すれば、ホルムズ海峡に機雷が敷設された時点で国際法的には「戦争状態」に入ったことになる。そこに自衛隊を派遣することは閣議決定として禁じているのである。
この点は佐藤優氏をはじめ多くの有識者が指摘しているとおりである。
果たして今回の閣議決定は安倍首相が当初想定していたモノとは変質してしまっていることを、首相自身がわかっていないのかなと思ってしまう。

メディア報道では、自民党と公明党は政府与党とひとくくりにされることが多いが、明らかに違う思想を持つ政党なのである。

手続き上の歯止め「事前の国会承認」を機能させる投票行動を

それ以外にも、情勢の認定における歯止めや手続き上の歯止めもかけられているのが今回の閣議決定の重厚さの所以でもある。
そのひとつが「事前の国会承認」である。

閣議決定の中では「原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする」と明記されている。
上記のように明確に記述されている基準に基づけば、良識の府である国会において承認される海外派兵などありえない。たとえ安倍首相が「派遣できる」と主張しても国会承認がなければ派遣はできないのである。

来春には関連する法令が改正されることになり、おそらく事前の国会承認の具体的な文言が審議される。
全会一致というのは現実的ではないため、「両院国会議員の3分の2以上の承認」等が国会承認の基準として審議されるだろう。

ただわずかの懸念をもつとすれば、最後の歯止めである国会が機能不全に陥っている状態であろうか。仮に自民党単独で両院の3分の2以上の議席を持っていた場合で、安倍首相のような考えで党議拘束がかけられたら危険な状態が生まれることになるかもしれない。その意味では自民党単独で3分の2の議席をとらせないことは、国会正常化の重要な要素になるだろう。

目前に迫った衆議院議員選挙は良識の府たる国会と日本の将来を守る私達国民一人ひとりの戦いである。名実共に確固たる理念と信念を持つ、本当に働く国会議員を私達の投票行動で選んでいきたい。
そのためには、中途半端なメディア報道に惑わされることなく、何が真実かを見極めていきたい。間違った思想や認識は断じて放置してはならない。
そのように強く思うのである。

【関連情報】
閣議決定全文 国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について
安倍首相、憲法解釈変更について会見「批判を恐れずに行動に移した」(HuffPost)
9条下で他国防衛認めず(公明新聞2014年7月15日付)
【総選挙2014】「自民党より右」は評価されるか(ポリタス)
別窓 | 政治 | コメント:0 | トラックバック:0 |
2014年11月教学部任用試験 テキストと演習問題集を準備しました
2014-11-21 Fri 12:06
今月(2014年11月23日)に行われる教学部任用試験の学習用テキストと演習問題集をアップしました。
受験対象者の方々にご活用いただければ幸いです。

↓こちらのページから閲覧、印刷等ができます。

http://www.prosecute.jp/2014ninyou.htm
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
国民感覚はどれも「違法」 うちわ論議
2014-10-23 Thu 23:20
第二次安倍内閣を象徴してきた女性閣僚のうち2人が相次いで辞任した。
小渕優子氏の政治資金疑惑は調査結果を待つが、松島みどり氏のうちわ状の政策ビラ配布については違法との判断が妥当であろう。
公職選挙法に規定されておりかつ各地の選挙管理委員会が違法の事例として紹介している中にうちわが明記されていることからも、司法の判断を仰ぐべき事案である。

しかし、である。
なんだかしっくりこないなぁと思う人も多くいると私は感じる。
要するに松島氏本人もしくはスタッフが少し勉強していて、うちわ状のビラの「骨」や「持ち手」をつけなければ「合法」だったという点である。
問題の本質がそれだけであれば「次からは公選法をよく勉強して政治活動しようね」という話でもある。

しかし、それだけの話であろうか。
今回ネットや巷で話題になっているのは「うちわ状」の円形厚紙&親指を入れる穴があいている政策ビラの存在そのものである。
その形状構造から見て「うちわ」として使ってもらう意図は明白である。
「うちわ」として使ってもらうつもりがないなら、なぜ厚紙で円形なのか、なぜ穴があいているのか、しかも通常のビラよりも費用をかけて作っているのか、全く説明ができない。
だれが見ても考えても、「うちわ」として使ってもらうことで、捨てられないようにしばらく手元に置いてもらうようにしたいという意図がはっきりしている。

そうであればこれも立派な「うちわ」である。
法律的な解釈で「ビラ」と考えることができるからOKです、というのは国民感情としては「アウト」と感じる人が多いのではないだろうか。
法的な言い逃れができる言動を一般的には「脱法行為」という。
国民の範を示すべき国会議員が「法の抜け穴」を堂々と国会の場で晒すのは、果たして望ましい姿なのであろうか。

これは松島みどり議員をはじめとする与党議員も、追及をしている野党議員も同様である。今回の糾弾の急先鋒になっている蓮舫議員と民主党に至っては、「うちわ状の円形ビラ」を制作して配布している事実があることは様々な報道等によっても明白になっている。
たとえ法律的な解釈でセーフになるような行為であっても、その法律の「立法の精神」を順守して望ましい法律運用の模範を示すのが立法府を守る国会議員の使命であると私は思う。

こんな法律解釈で時間を使うよりも、行なうべき法案審議が山積している。
日本の政治は緊迫状態が続いている。
消費税10%への増税を行なうのか行なわないのか。
集団的自衛権をどのように具体的に運用するのかしないのか。
社会的マイノリティに対する施策をどうするのか。
等々...。

本国会(第187回)の提出議案の多くはまだ審議の端緒にもついていない。
【本国会の議案一覧↓】
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/menu.htm
一刻の猶予も許されない課題がいくつも法案として提出されている。
この現実を認識していない議員が多すぎるのではないか。
別の面で見れば、一日国会を開催するだけでどれだけの血税が使われているかも考えてほしい。いま行なわれている質疑応答の中身が一億円の税金投入にふさわしいかどうかを。
いま何をすべきか、国会議員たる者ならば、よくよく考えて行動してほしい。
別窓 | 政治 | コメント:0 | トラックバック:0 |
教学部初級試験&青年教学3級試験 練習問題をアップします
2014-08-27 Wed 09:30
2014年9月28日(日)に実施される教学試験の学習のためのページを開設しました。
学習深化のために活用いただければ幸いです。

http://www.prosecute.jp/2014syokyu.htm

想定問題は順次アップします。
とりあえず第1弾として、御書講義拝読御書、座談会拝読御書についてアップしました。

追記
全範囲のアップが終わりました。
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
教学部任用試験 演習問題を用意しました
2013-11-06 Wed 23:50
今月(2013年11月)に行われる教学部任用試験の演習問題集をアップしました。
受験対象者の方々にご活用いただければ幸いです。

↓こちらのページから閲覧、印刷等ができます。

http://www.prosecute.jp/2013ninyou.htm
別窓 | 未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
第100回 桂冠塾 『野火』
2013-09-12 Thu 12:36
097.jpg8月24日に8月度の桂冠塾(読書会)を開催しました。
今回で100回目の節目を迎えました。
各回に参加いただきました皆様に感謝申し上げます。

68回目の終戦記念日を迎えた今月は戦争をテーマにした作品を取り上げます。今回取り上げたのは大岡昇平作『野火(のび)』です。
作品は昭和19年11月末にレイテ島に上陸した日本陸軍の田村一等兵の独白の形で構成されています。

太平洋戦争の激戦地

レイテ島とその周辺海域は、太平洋戦争最大の激戦地のひとつです。
1944年10月20日ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍がレイテ湾に上陸。
レイテ島がフィリピン戦線の主戦場として攻防が繰り広げられます。
物量に勝るアメリカ軍は日本軍の物資と兵員の補給路を完全に断ち、孤立した8万人余りの日本軍兵士がほぼ全滅するという惨劇の結末を迎えました。レイテ島からの生還率は3%ともいわれています。
大岡昇平氏は自らの従軍体験を元に、この作品を書き上げています。

精神の極限

主人公田村一等兵は以前から罹患していた肺病が悪化し野戦病院に行かされますが、受入れできない病院から拒否され、部隊からも放逐されてレイテ島の山野を彷徨します。
日本軍がパロンポンに救出に来るという軍命令を伝え聞き、多くの日本兵が分断された道なき道をパロンポンに向かいます。
人が目の前で次々と死に、腐敗した死体が散乱する極限状態の中で、田村は自らの生への執着と絶望の狭間を行き来し、精神的にも異常な状態に陥っていきます。
自らが生き延びるために現地人の女を殺傷...そしていつしか田村の目は屍体の臀肉を追っていました。
同僚が食料として「猿」を狩猟して食する場面に至って、田村は自身の精神的均衡が崩壊することを悟ります。

日本兵による人肉食

この作品が注目された理由として日本兵による人肉食が描かれている点にあります。
作品の中では、田村一等兵が懺悔もしくは生への執着が消えた虚脱の思いから、一旦は全ての生あるモノを口にすることを拒絶するシーンが描かれます。その直前、田村は飢餓と狂気によって屍体の臀肉を食する欲望に屈しかけます。それを押し止めていたモノは理性でも神への信仰でもなく、見られているかもしれない「人の目」。
それでも森に散在している臀部の肉が削ぎとられた屍体は、ある事実を田村に語りかけてきます。
そして田村は、死ぬ直前に「食べてもいいよ」と言い残して死んだ日本兵の屍体を、人目の付かない場所に移動します。
しかし食べることができない。「食べていいよ」という言葉が禁圧として働く。
おれは本当に食べるのか。
蠅がたかって屍体が見えなくなると安堵した。
屍体の上で山蛭(ひる)が太っていく。
田村は屍体の血で太った山蛭を押しつぶして血をすすった。

田村は思います。
人の屍体を食べることと、山蛭と介して血をすすることに違いがあるのかないのか。違いなどないではないか。
田村は屍体の肉を食しようと右手に剣を握ります。
その瞬間、その右手を田村の左手が押し止めたのです。

「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむることなかれ」

田村が聞いたのは自身の心の声なのか、それとも天か神の声だったのでしょうか。

その後田村は、一切の草木すら口にせず、死んでいくだろう運命に身を任せようとします。そんなときに以前行動を共にしていた日本兵永松に抱き起こされます。
田村は、永松の水筒の水を飲み、差し出された「猿」の干し肉を食べた。
決意していた禁欲はどこかに消え去っていた。

そして後日、田村は知ることになります。
その「猿」とは人間のことであるという事実を。
さらに永松が「猿」を狩猟する場面に遭遇。周囲には切り捨てられていた足首や食に適さない人の部位が。
そして自分達二人の食料にするために目の前で同僚の殺人を行い手首と足首を打ち落とした永松に、田村は銃口を向けます。
田村の記憶は、ここで途切れます。

田村はアメリカ軍の俘虜病院に収容され、敗戦後の昭和21年3月に復員。5年後に東京郊外の精神病院に入り、今こうしてこの手記を書いている...。
そんな結末に至ります。

食べてよい生命と食べてはいけない生命があるのか

その当時を実際に見ていない私達は、人肉食の事実があったのかどうかを論じることは避けたほうがよいのかもしれませんが、現在残っている様々な手記や文献から推察すると、太平洋戦争末期において日本兵による人肉食が行われたことは事実を考えるのが妥当なのだろうと思われます。
ただ、その事実(と思われる)の是非を論じることが今回の主眼ではありません。

人肉を食べてまで生き延びることが是なのか。
もし人肉は食べていけないとすれば、人肉の血で太った山蛭から絞って血を飲むことは許されるのか。
さらには、人間が生きていくために多くの生ある動物を食べていいのか。
もっと言えば、動物がだめで植物ならいいのか。

現実は何も食べなければ、人は生きていけない。
なにがしかの形で、他の生命を食して自分自身の生命を長らえているのである。
食べていい生命と、食べてはいけない生命という区分はあるのか。
生命にそうした差異や価値の違いがあるのだろうか。

生きていくということの根本命題を真正面から顔面に投げつけている。
それがこの作品の本質ではないかと感じます。

キリストの声を聞いた田村

作品の中で大岡昇平氏は、田村一等兵に人肉食を思いとどまらせた要因はキリスト教の信仰であると思わせる文脈を綴っています。
大岡昇平氏がキリスト教徒であることは知られた事実であり、作品中でも個人の快楽や生への執着に対して「デ・プロフンディス(われ深き淵より汝を呼べり)」の聖書の一節で警句を鳴らすシーンを描き、最終章においては戦場の赴いたことも含めて、様々な体験は全て神が彼に与えた試練であると田村が気づくというストーリーと読めます。
それゆえに最終行が「神に栄えあれ」の一文で締めくくられているのかもしれません。

それが大岡昇平氏の意図であるとすれば、田村一等兵は人肉食という地獄の淵から覗いていた悪魔の誘惑に勝ったことになります。
大岡氏を含めて、極限の地獄絵の渦中にいた者は、そう考えるしか逃げ道がないのかもしれない。
では人肉を食べてしまった者はどうなるのでしょう。
キリスト教の説く救いのない深き淵の地獄に堕ちてしまったのでしょうか。

キリスト教の説く人間像の限界

ある意味、キリスト教の説く教義はシンプルです。
神(地球を創った創造神)が自らの姿に似せて作ったのが人間であり、人間に地上の万物を支配する使命を与えたとされています。一方、人間以外の生物や自然といった万物は人間の支配物であるので人間が生きていくなかで利用することが許されていますので、人間以外の生物は殺しても構わない。
そうした考え方が根底にあるので、一応は人間が人間を殺傷することは罪となります。
しかし、そこにはその人間が神の意志に背いていない限りという大前提条件がついています。
もし神の意志に背いた人間がいれば、それは認める価値はない。
そうした論理に至るのは、ある意味で必然とも言えるでしょう。

それゆえキリスト教徒でない者を殺生することが聖戦の名のもとで延々と行なわれてきましたし、邪教徒は一番最初に地獄に落ちる(辺獄を漂う)とされてきました。
作品の背景となる日本軍は、当然のことながらキリスト教の教義を根底にした軍隊でも国家でもありません。したがってキリスト教観では日本が敗戦するのは当然として、その中でキリスト教的信仰を貫いた田村一等兵は聖者賢人とも位置付けられるかもしれません。
さらに言えば、もし仮に田村が人を殺して人肉を食べていたとしても、異教徒である日本兵の人肉であれば問題なしとされる可能性があります。

確かに田村を精神的極限状態から救ったのはキリスト教の信仰だったと思いますが、キリスト教を信仰しない者や現代を生きる私達にとって普遍的な人間の考えとはなりえません。

殺す心を殺す

このテーマを考えるとき、思い起こす興味深い釈尊にまつわる仏教の説話があります。ある人が釈尊に次のように質問しました。

「生命は尊厳であるというが、人間は誰しも他の生き物を犠牲にして食べないと生きていけない。いかなる生き物は殺してよくて、いかなる生き物は殺してはいけないのか?」

まさに『野火』が問いかけるテーマでもありますが、それに対する釈尊の答えは次のようであったと言います。

「それは殺す心を殺せばよいのだ」

この答えを詭弁だとか論点をすり替えていると言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。何のための食なのか、その食を得た自分自身がいかように生きようと思っているのかという自分自身の内面こそが、その殺生の是非を決めるということではないかと思います。

かつてこの説話について論じた平和思想家の池田大作SGI会長は次のように記しています。

暴力や殺生などの錯綜した事象は、おびただしい位相を持ち、どの線が良く、どの線が悪いなどという一律な線引きなど不可能である。
ゆえに「殺す心を殺す」こと、外面的な理非曲直よりも、まず内面の制覇こそが、第一義的な重要事なのだ。
その「自己規律」の心が確立されていれば、いかなる迷いや逡巡も乗り越えて、最善の選択、決断を過たぬはずである--。
釈尊の真意も、ここにあるはずである。
(2002年1月26日・第27回SGIの日記念提言より抜粋)



限界の状況に対して過たない判断をいかにして下すか。
それは自分自身の中に自己規律の心を確立することによって成し遂げられる。
“この場合はAですよ”“このケースはBなんですよ”というようなマニュアル的な解決方法は、現実の人生には何の役にもたたない。
私達は経験的にわかっているはずですが、ややもするとマニュアル的な答えを欲しがってしまう。
その安易な生命の傾向性を乗り越えることが、現代を生きる私達の課題ではないかと思います。

『野火』は、現代を生きる私達に生きていくための自己規律は確立しているかと疑問を投げかけているのかもしれません。

【桂冠塾の当日の開催内容等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/100.htm
別窓 | 読書会 | コメント:0 | トラックバック:0 |
明日 桂冠塾(読書会)100回目の節目です
2013-08-23 Fri 11:23
今月も月例の桂冠塾を開催します。

■8月度読書会【桂冠塾】※第100回
テーマ:『野火』(大岡昇平)
日時:8月24日(土)14時~17時
会場:勤労福祉会館 和室(小)
最寄駅:西武池袋線大泉学園駅 徒歩3分
開催の概要はこちら↓
http://www.prosecute.jp/keikan/100.htm

桂冠塾は明日の開催で100回目の節目を迎えます。

「子供たちが本を読まなくなった」と言われ始めてどのくらい経つでしょうか。「子供は大人の鑑」とも言います。果たして本を読まないのは子供だけなのでしょうか?
「よりよく生きたい」と願う気持ちは、生命の叫びとして存在すると私は思いたい。迷路に入り込みかけているかもしれない私たちは、その解決の糸口をどこに求めたらいいのか。そのひとつに時代を超えて読み継がれてきた書籍があると私は思います。


このように呼びかけて、古今東西の名著に触れながら互いに研鑽しあう場として2005年4月に始めた桂冠塾の取組み。毎月1回、1冊の本を取り上げて参加者の方々と共に読み、語り合って一つの区切りを迎えました。特に記念イベントを行なうわけではありませんが(^_^;)これからも地道に続けていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
別窓 | 読書会 | コメント:0 | トラックバック:0 |
私達がとるべき投票行動とは-参院選投開票の前日に思う-
2013-07-20 Sat 16:01
明日21日(日)は参議院議員選挙の投開票日ですね。
既に期日前投票を行なった方もおられると思います。当日20時までの投票締切り後、即日開票で翌朝までに改選121議席の行方が確定する見込みです。
年を追うごとにどのような政治家を議会に送り出すのかが重要になってきていると痛感します。特に国政選挙においては、個々の政策が当然重要であることに加えて、今後の国政の方向性をどのように定めていくのか、国の舵取りを誰に託すのかという命題が問われます。
私達有権者はどのような基準で政治家を選ぶべきか。
今日は私の個人的な考えを少し述べてみたいと思います。

■多様化する生活

日本の国会では年間100~120本程度の法案が成立しています。そのすべてが自分自身の考えと一致するというのはなかなかありえず、私も毎年数本は「これはどうなのかなぁ」と感じる法案が成立しています。現実には7~8割が納得できれば御の字というのが一般的な感覚なのかもしれません。
ただしこの違和感がある数本に自分自身の生活に影響する問題が含まれていたりする時に人は判断を迷う、ということも多いかもしれません。
時代を追う毎に社会は多様化し、個々人の意識は集約しにくい時代へとなっています。それは良い意味では、一人ひとりが自立する時代を迎えているということでもあると思います。望ましい傾向である一方で、常に利害が相反する人達が存在するということであり、民意を過半数以上に集約しにくいのが現実です。政治や行政的な施策を執行する立場から見れば、いかに頑張っても常に評価が相半ばする時代とも言えると思います。

■「政策」中心で決定することの危うさ

このように個々人の生き方が多様化する時代においては、個々の政策を投票行動の基準とすることは極めて危ういということにもなるでしょう。実際に「この政策はA候補に賛成」「こっちの分野はB政党に考えが合う」と決められない状況になってしまいます。
マスメディアや多くの識者の方々を含めて、実績や政策の公約を比較して投票先を決めることを勧めていますが、そうした比較検討は、実は結果的として、選挙のたび毎に右に左に民意が揺れ動く不安定な政治状況をつくってしまっているともいえるのではないかと思うのです。
情報を収集して比較検討するという行動は、今の無党派層と呼ばれる有権者の最大多数の人々の行動基準でもあると思いますが、その行きつく先が必然的に毎回の選挙で政権が変わる結果に繋がっていると私は感じています。
今後もそんなことをしていたら、政治と政治家の劣化は加速度的に進んでしまう。
結果として被害をこうむるのは国民である私たち自身である。
そのような危機感を感じてなりません。

■比較検討する有権者の裏をかく政治家達

こうした危険を回避するために有効な方策として一般的には2つの方法があると考えられています。
①マニフェスト等で公表された公約と、今までの実績を比較して本当に実行できるのか検証する
②各政党、候補者の経歴等を調べてどのような政治信条を持っているか検証する

この2つの視点で検証するだけでもそれぞれの政治家の真意に迫ることができます。しかし被選挙民である政治家達にとって不都合な真実は往々にして伏せられているものですし、耳障りの良い言葉でオブラートに包む政治家が多くなっています。
結果として責任ある政治行動をとる政治家は激減し、その場しのぎの票目当ての発言が日常化する。有権者が良かれと思って比較検証という行動をとったがゆえに、真実は更に見えにくくなるという悪循環を起こしています。

耳触りのよい主張。
今回であれば原発問題はその典型でしょう。「原発即時ゼロ」と言っている政党が4~5政党ありますが、現実に安全に全停止しようとするならば、1~2年のソフトランディングをする必要があることは自明の理。今日か明日、完全に停止するなどできるはずもない。原子炉に残っている使用途中の核燃料や行き場のない使用済み燃料、炉心の冷却水の処分、中間処理施設にたまっている使用済み燃料の処分、さらに原子炉を完全停止させ安定冷却するまでに発生するかもしれない災害への対策等も含めて対処すべき項目はいくつもある。それらの対策を講じるためには公明党などの政党が主張している「原発ゼロ社会」へのロードマップと同様な時間軸になるのは必然です。その違いは、実際に実務を遂行する覚悟の上の発言か、そうでない発言かの違いとも見えます。
しかし、おそらく各党各候補者ともわかっているのに「即時」と言った方が“聞こえ”がいいし、他党と差別化ができるから「即時」という。マスメディアはわかっているのかいないのか、大きな違いはないのに政党名と政策をマトリックスにまとめて「○」とか「△」とかつける。そんなからくりは、少しでも原発ゼロのためにどうすればよいか学習した人間であれば誰にでもわかる。
こんな見え透いた、聞く人に思い込ませる“未必の嘘”を天下の政党が恥ずかしげもなく発言するから多くの国民は誰にも期待しなくなり、「投票にいかない」という無作為の行動が蔓延してしまう。
4年前の民主党による政権交代とその後の失政は、この構図そのものです。

■政策や政治信条の奥にある思想哲学

今私達が政治家に求めるべきものは何か。
掲げられた政策の是非だけではなく、そうした政策が出される根本にどのような思想哲学があるのか。そしてその思想哲学が空理空論では意味がない。本当に私達の日常生活に有為に貢献する思想哲学であるかどうか。
その一点が確固たるものであれば、どのような社会状況になったとしても有機的に対応することができる。想定外の突発事故があったとしても、判断を誤ることなく最善の政治判断と決断を実行することができる。
そのような政治家に政治を託すのが最善の道であると思うのです。

■一人ひとりの幸福の確立こそ社会が目指す姿

大上段に「社会の繁栄だ」「世界の平和だ」と叫んでも実際には何も変わらないことが多々ある。
逆説的に聞こえたとしても、やはりまず個々人の幸福の確立があってこそ国家も世界全体も豊かで幸せな社会を実現することができる。その点に異論を言いたてる人はいないのではないかと思います。
その意味では、幸せになるために社会体制を変える必要があるとか、政権を交代させればよい時代が来るなどという考えは、全くの虚構であると断言しておきたい。

政治はその国家や団体に属する全ての民衆の幸福に寄与するためにこそある。
だからこそ、政治には幸福を確立するための理論と哲学が必須なのだと訴えたい。
そしてその思想哲学は一人ひとりの生命をどこまでも尊重し、一個の生命の持つ限りない可能性を信じて現実生活に実証を現わすものであるべきである。
私はそのように思うのです。

■生命尊厳の思想

生命と宇宙のリズムを根源的に解明し、幸福になるための実践を具体的に展開してきたのが東洋思想が持つ英知であるとするのであれば、その生命哲学を実践する一人ひとりが社会のあらゆる分野で生命哲学を根本として、一人の人間として具体的な行動をとっていくことが今の世に生を受けた者の使命であるとも言えると思います。
政治の分野においても、今こそ生命尊厳の思想を持った政治家が求められているのではないでしょうか。これから日本は憲法改正や国防、東アジアの安定化、さらに国際貢献の在り方が議論される時期を迎えていきます。少子高齢化の進行は既定路線となり、社会福祉の財源をどのように考えていくべきかなど、日本は国家運営の岐路に立っています。このような重要な局面にこそ、生命尊厳の哲学を有する政治家がかじ取りをしていくべきである。
そのように私は感じています。

そうした意味においても今回の参議院選挙は重要な意味を持つと思います。
自分自身の思いをしっかりとみつめながら継続して語りあっていきたいと思う今日この頃です。
論点が前後したりまとまりのない文章になってしまいました((+_+))
申し訳ないです(^_^;)
皆さんはどのように感じられますか?
別窓 | 政治 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| 市民HATAさんの普通の感覚? | NEXT